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September 29, 2006

陸羽と交流のあった人たち (崔国輔)

崔国輔(さいこくほ)という人物に知り合うことで陸羽は都の生活や官僚・政治などに関心を持つようになります。



お題→「陸羽と交流のあった人たち (崔国輔) 」

752年、陸羽が19歳くらいの頃。竟陵に崔国輔は竟陵司馬として赴任してきます。
実際は左遷されてきたとありその理由は、中央での謀反の疑いがあった崔国輔の親戚が自害を命じられたためそれに連座する形で、礼部員外郎という職を解かれ竟陵に左遷されたとあります。

崔国輔は呉郡の出身で、開元進士、集賢直学士でした。そしてこの当時の有名な詩人でもありました。
詩の知名度は私にはよく分かりませんが最高級レベルだったそうです。特に五言詩を得意とし、杜甫とも仲が良かったのだそうです。

その崔国輔は左遷先の竟稜で陸羽の才能を伝え聞き、彼を招きます。この出会いがきっかけとなり二人は交遊を深め、その友情は大変厚くなりました。

彼らは一日中勉強したり、茶を楽しんだり、水を評価しあったりしていました。
そして陸羽は、中央の生活の実態や、官僚、政治のシステムを聞き多くのことを吸収していきます。
また詩についても手ほどきしてもらったそうです。

陸羽と崔国輔の深い交遊は三年間ほどでしたが、陸羽はその間に社会全体を見渡す力が鋭くなり、政治への関心も大きくなったようです。

陸羽はその後竟稜を旅立つのですがこの時に崔国輔は年下の親友に「今別離」というひとつの詩を送っています。
それは親友が旅立つことを喜んで見送ってやりたいという気持ちと、自分はあまり長く生きられないであろうから早く戻ってきて欲しいという気持ちが込められていたそうです。

今別離 崔国輔

送別未納旋 相望連水口

船行欲映洲 幾度急揺手

今回分かれたら、あなたはいつ帰ってくるか分からないだろう。水口でさよならをいいます。
船に乗ると、途中に洲があります。遠いところに行かれますが、早く帰ってきてください。私は何度も手を振ります。


三年間の交流で崔国輔は陸羽のその人となりをよく理解し、今後のあり方などをいろいろと教えたそうです。でも、まだまだ教えたいことがあるのだが、彼の旅たちを喜んであげなければいけない。それが送る側にとって今生の別れとなったとしても。という崔国輔の気持ちが詩からうかがえます。

この翌年陸羽は崔国輔に会いに竟稜に戻ってきますがそのときに崔国輔はこの世を去っていました。そしてその死因は不明のままです。

続く・・・・


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